責任分担の法則
- YOSHIYOGA
- 4月7日
- 読了時間: 4分
重機もない太古の時代に、人々の力だけで巨大な建造物を作り上げた。
我々人間は、協力して働く時、高層ビルの建築や芝居の上演など、
一人ではおよそ不可能な大仕事をやり遂げることもできる。

その役割は違えども、有名アーティストのコンサートの様に、舞台上のアーティスト一人の仕事が目を引いても、照明や音響などの各技術者がいて成り立つものである。
そして、社長やCEOも、優秀な秘書なしには難しく、表には見えにくい沢山の支えがある。
家庭も会社も国家も、内部で責任ある協力で栄えるし、なければ崩壊する。
人間の身体機能も、37兆から60兆の細胞と、内部器官が協力し合って、
初めて維持されることができ、生命の維持されている。
私の身近な、レストランの朝食の仕事でも、厨房、ホール、洗いそれぞれの役割が順調に回って円滑に運営できる。
他人と協力するには、自身の内部を調和させ、統合することが肝心。
調和を見出す一歩は、調和をしていない部分を見つけることから。
朝食の場面ならば、それぞれの役割を慣れていない人だけでなく、
それをカバーできる人と行っていく。
自身、他人、環境との関係において、均等点を見出し、
自分が担うことができる責任の適切な範囲と限界を定めなければならない。
これが役割と呼ばれるものである。
共依存とは、他人の人生に過剰の関わり、何も返らないのに与え続け、
自分の欲求を無視してその状況を維持していくこと。
共依存の元凶、過剰協力を生み出す原因は、偏ったまた、過大な責任感である。
責任感は本来、素晴らしい姿勢、しかし過剰な責任感は双方にとって重荷となる。
仕事の教育という場面では、このバランスが難しくなってくる。
新人の方に、丁寧に見せながら教えていく場面から、見守りながら実際に行っていく場面へ、大きな失敗をカバーできるように見守る具合を徐々に少なくしてく事が求められる。
しかし、個人的感情でその方に負の感情を多く抱いてしまうと、信頼できないという気持ちが強くなり、いつまでも任せる事ができない。
それが続いていくと、更に怒りの感情が重なり、より細かな事まで気になり出し、
日常業務の負担感が更に増していき、繁忙期にはついに怒りが爆発してしまう悪循環。
当然、教育を受けている側も、過剰に監視されているような感覚となり、負の連鎖となる。
これも過剰な責任感の例となるのである。
他人の責任領域に入ってないか見直し、真の協力関係を、
バランスのとれた責任分担を確立をするために均衡点を見つけなければならない。
理想の協力は他人に依存することなく、自分の力でできるように導く事である。
責任分担の法則は、自分が心地よく過ごせる領域を見出し、
尊重し、その範囲内で行動することがいかに大切で、必要かを教える。
この心地よい領域を無視せず、尊重しつつ、それを拡大するために生まれたもの。
個人の内面の価値を尊重し、安心できる均衡点を見つける事が大切である。
他人を支える事と、他人に支えられるこのとの間にバランスを見いだせるようになる。
私が何とかしなければと過剰な気合や思い込みは自分の負担にもなり、周りへの威圧感や、プレッシャーにもなっていく。
どのような手慣れた人間でも、所詮一人でできる事は限られているのである。
そして、どのような有能な職人でさえも、はじめは誰しも素人なのである。
頭でこうすべきだと思い込んでいる事と、心で本当に望んでいることの違いに気づき、
本当に気持ちよくできる範囲で責任を負う術が見つかる。
無理が生まれれば、「これだけやりましょう、ただし残りはあなたの仕事です」とはっきり伝え、互いの妥協点を探ればよい。
明確な業務の線引き、役割分担、責任の分配が、お互いの動きを高めていき、
全体的に漏れのない円滑な運営につながるのである。
正しい責任分担が個人から複数のグループに、
そのグループごとの責任の分担が更に広がり、
巨大な組織となり人は現代でも驚くなような建造物を作り上げたり、
繁栄を行ってきたのである。
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