訓練の法則
- YOSHIYOGA
- 4月28日
- 読了時間: 4分
更新日:4月28日
自由や独立、自分の力で欲求を満たしたいと願うあまり、とにかく広い経験をしようと躍起になる人がいます。
決まり切った単調の仕事を嫌がり、あらゆる分野の表面だけをすくい取って、奥深く探求することがない。
現在に多くなってきているのが、嫌だったら辞めるをくりかえす人達。
コロナ過で私は、老人施設での作業療法士のバイトとヨガインストラクターの両立を拒否され、老人施設のバイトから離れました。
その状況から、今でも続く近隣のホテルの朝食のバイトを始めました。
その当時のメンバーは、開設当初からの数名がメインとなり、派遣の方々がある期間滞在しては離れ、新しいバイトが来ても続かない状況でした。
久々に「50代のおっちゃん」として0からのスタート、思わぬ厳しさと人間関係の悪さに働き出して数日で、バイトに行く日が気が重くなっていました。
空き時間に他のバイト先を探すこともしながら、数秘でのレッスンナンバーのメッセージを再確認し、不穏な空間から逃げるのはやめよう、「石の上にも3年」にあやかり、三カ月は続けようと決めて、自分が受け持つ仕事を、先輩の動きを見て必死に追いつけるように頑張りました。
そうしている間に、できることが増え、任さられることも増え、お客様に温かい言葉をいただけたり、忙しい朝の仕事をみんなでこなすことが楽しくなり、やりがいとなりました。

おそらく、入ってすぐにやめて、例え新しいバイト先に入ったところで、同じような事が待っていたかもしれません。
どこに行ったとしても、仕事を覚えて任せられるようになるにはある期間の忍耐や努力が必要なのです。
自由は生まれながらに与えられた、絶対的な権利だが、それを自力で獲得しなければならないのです。
内面と外面の自由と独立を得るための鍵となるのが訓練なんです。
自由奔放に振る舞う人も、内面はさまざまな鎖で縛られていて、心の中では否定的な考えが飛び交い、欲望や心配が渦巻いているかもしれません。
不安定な自己確立は、その理由を外部の責任にして、内側の未熟さをを認めたがらない。
内なる自由と平和の感覚のためには、時に瞑想や洞察によって、内面の集中と訓練を積み、理性が生み出すさまざまな制限の鎖を断ち切らなければならない。
そして持続的な訓練は、外面的な自由も生み出します。
一定の分野で優れた技術を獲得し、財政的な自由を得れば、さらに大きな行動力、広い世界を旅する機会が手に入るのです。
訓練によって鍛えらえた強くて健康な精神と肉体、生まれた社会的な自由と自尊心と満足感によって、人生の選択肢は大きく広がります。
エネルギーを集中させ、退屈を乗り越えて一つの分野を極めれば、自分自身や自分について多くの事を学べる。
訓練は、単調さに耐えて奥深い経験を積み、一つの事を成し遂げる習慣を言うのです。
退屈し始めるのは「理解の糸口」をつかんだから、すぐに止めてはいけないのです。
そこから本当の経験がはじまります。
茶道、書道、華道、「道」がつく学びは、その事柄が上手くできる事のその先に、繰り返しの中で培われていく、人生の学び「禅」と繋がっていくような気がします。
私が十数年行ってきているヨガをお伝えする事も、毎回集中し、繰り返しの中で、お伝えしていく言葉が研ぎ済ませれて、余分なものがそぎ落とされていく感覚は、常に向上心を持ちながらの繰り返しの中でしか起きない事かも知れません。
この法則は、興味の優先順位を設けて、今一番重要な事に集中し、徹底的に追及することを教えてくれます。
今やる必要がある活動に意識を集中させ、後でできることは取っておけば良い、幾度もぬかるみの道を踏み越えて、石ころの道も目標に到達する大切な準備として、我慢して歩み続けなくてはいけないのです。
進む秘訣は、自分を勇気づけ、ゴールを目指す意欲を燃やせるだけの目標を持つ、それをより具体的にはっきりとその時々に行うべきことが、イメージする事ができます。
訓練は、現在の自分と見事に達成した時の自分との間に橋を架けてくれるのです。
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